社労士・兵藤恵昭の独り言

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懲戒解雇処分該当として、支給済み退職金を返還できるか?

本件は、退職金支給後に、背信行為として懲戒解雇処分に該当したと判断し、会社が退職金返還請求をした事件である。(東京地裁・令和4年6月10日判決)

(事件の概要)

本件の原告は生命保険会社(Ⅹ生命)で、被告となった元社員2名(婚姻関係あり)は、いずれも約13年間在職して保険営業に従事し、平成 31 年 1 月 31 日に一緒に退職した。

退職にあたり、被告らは会社に「退社した後…私が貴社在職中に行った行為で…貴社の規程上の懲戒解雇処分事由に該当するもののあることが判明した場合…判明した時点で退職金が支給されていれば、貴社の請求に応じ、貴社に対し退職金を返還することを…了承いたします」等と書かれた退職届兼誓約書(本件誓約書)を提出した。

被告らは、所属していた営業所の所長から、退職の挨拶状を送付すること及びⅩ生命の社名が印刷された封筒を使用することの許可を受け、また、退職前に、2567件の契約内容がわかるデータと顧客の住所氏名が記載された宛名ラベルを営業所内で印刷した。

そして、退職してから2週間後、在職時に担当していた顧客1180名に対し、顧客の住所・氏名が記載された宛名ラベルを貼り付けた封筒(Ⅹ生命の社名を表示)を使用し、以下の項目が記載された文書を送付した。

① Ⅹ生命では、お客様が望まれる本当のコンサルタント型の生命保険や資産運用のご提案が出来なくなった。
② 団体割引の商品が縮小・変更され、自信をもってお客様に商品をお勧めすることが出来なくなった。
③ 満期時に生命保険の非課税・節税対策のご案内ができない。
④ 保険にご加入頂いた当時の担当者ではなく、勤務先の学校担当が全て担当するという理不尽なルールが存在し続けている。
⑤ 今後は、Ⅹ生命を卒業し、㈱〇〇に籍を置く。Ⅹ生命1社のみの商品提案ではなく、十数社の中からお客様にとって一番最適な保険・運用商品をご提案ができる。

本件文書の送付を受けたⅩ生命の顧客の中には、なんで〇か月も先の〇月に満期になる契約があることを退職した者が知っているのか等と苦情を述べた人もいた。

会社は、被告らが在職中に、顧客情報の不正持出し、業務妨害の予備行為、会社備品の私的利用(封筒を許可された退職挨拶状の範囲を逸脱して使用)を行ったことが判明し、これらが懲戒解雇処分に相当するとして、被告らに対し既払いの退職金(それぞれ約 600 万円、約 430 万円)の返還を請求した。

(裁判所判断のポイント)

裁判所は下記のようにポイントを指摘した。

①「顧客情報の不正持出し」については、被告らが契約情報のデータを印刷した事実までは認めながら、宛名ラベルのほかに顧客情報を持ち出したとまでは認めるに足りないと述べた。加えて、所長が社名入りの封筒使用を許可したこと、社内の運用として退職社員が任意の挨拶状を送付することを禁止していなかったことも指摘した。

②「業務妨害の予備行為」については、本件文書の送付が退職から2週間程度後のもので、予備行為そのものによりⅩ生命に個別具体的な損害を与えたとはいえないこと、退職後の勧誘行為をもって懲戒解雇事由というに等しい結果とならざるを得ないこと、懲戒規程において退職後の競業行為を懲戒解雇事由として定めていないことを指摘した。

③「備品の私的利用」の観点については、判決文では明示的に検討されていない。その理由は「顧客情報の不正持ち出し」の検討の中に包含されているという趣旨なのかもしれない。

(裁判所の最終結論)

裁判所は、「顧客情報の不正持ち出し」、「業務妨害の予備行為」を一体として総合して検討をせず、それぞれ個別に検討し、いずれも「採用されて以降の長年の勤続の功を抹消ないし減殺してしまうほどの著しく信義に反する行為であったとまで評価することは困難である」と述べ、Ⅹ生命による退職金返還請求を棄却した。

裁判で、退職金返還請求の困難さ痛感する判決である。多数の顧客情報を持ち出し、利用し、競業行為を行っても、背信行為にならないという判例でもある。

(企業の課題)

今後、会社に不満を持って退職する従業員も多いだろう。退職後の顧客情報の管理には十分注意する必要がある。

同時に懲戒解雇処分事由発生によって、後発的に退職金返還の規定、合意があっても、懲戒解雇が無条件に退職金不支給の事由にならない以上、背信行為の程度が退職金不支給に十分に該当するレベルまで証明される必要がある。

退職金の支払いを猶予する期間も制限される以上、退職金支払に難しい課題を残した判例である。