「人事の
三国志・変革期の人事、人材登用、立身出世」渡邉義浩著・朝日選書2019年6月発行
著者は1962年生まれ、古典中
国学専攻の文学者。古代中国の君主と官僚・名士とのせめぎ合い、相互制御の
君主制を「名士論」と名付け、古代
君主制の特殊性を特徴つける。
即ち、①唯才主義の
曹操、②情実と志の
劉備、③地縁、血縁の
孫権、これが三人の人事である。
曹操は孝、徳よりもその人の能力を重視する。兄嫁との不倫を起こしても漢の高祖の
重臣・陳平の才能を買い、重用した。人事は戦争、
ヘッドハンティングであると言い、徳、孝より能力を優先する。
劉備は情と義を重視する。
劉備、
関羽、
張飛の桃園の誓いなど義を優先する。もし自分の息子が無能力ならば、部下の
諸葛亮が君主に就任せよと遺言する。武人と名士のバランスを重視した。
孫権は情実で地元の武将と結びつき、
周瑜などの名士も重用した。同時に婚姻関係の人脈を重視し、地域に生きることを目的とした。
後漢末期の混乱は多くの死者を出した。
後漢恒帝時代の人口は約5,000万人。
黄巾の乱後の
三国志時代の人口は1,200万人である。即ち、約3,800万人が死亡したことになる。
後漢の混乱期に国家を滅亡させず、存続させるには人事と評価が重要である。当時は
科挙の官僚・
儒教派党人と君主に仕える宦官との抗争が激しかった。その中で生き残るにはよほど優れた人事配置が必要である。
結果、人気の
劉備の蜀国は滅亡し、
曹操の魏国は正統派
北朝国家として存続し、
西晋へ続く。地域に生きた
孫権の呉国は
南朝時代として一時代を生き延びた。
組織を制する者が生き延びる時代は今も変わらない。そのための人事と評価の重要性はいつの時代も変わらない。