社労士・兵藤恵昭の独り言

団塊世代の社会保険労務士・兵藤恵昭のブログです。兵藤社会保険労務士事務所・内容は雑多です

苦悩の俳人・種田山頭火

丸い眼鏡に網代笠、粗末な僧衣の禅僧、母の自殺、一家破産、自殺未遂、泥酔、放埓、苦悩の俳人種田山頭火
 
種田山頭火明治15年12月3日山口県防府市の大地主種田家の長男に生まれた。
山頭火はすべて捨て去った人生と言う。しかし実際は生涯を通じて悩み、苦しむ神経症の人である。
 
34歳のとき、俳句誌「層雲」に載せた言葉。「苦痛に徹せよ。しかし苦痛は戦うても勝てるものではない。打ったから砕けるものではない。苦痛は抱きしめて初めて融けるものである」
山頭火の句。「捨てきれない荷物のおもさまへうしろ」
「苦悩は不幸ではない。克服するものでもない。甘受するもの」と言う。
 
45歳のとき、全てを捨て托鉢放浪の旅へ出る。日記に書く。
「私は所詮、乞食坊主以外何物でもないことを再発見した。旅に出ます。歩けるだけ歩きます。行けるところまで行きます」と
詠んだ句は「蝉しぐれ死に場所をさがしてゐるのか」
 
昭和15年10月10日夜の句会後、酒を飲み、鼾をかきながら寝た。そのまま死亡、59歳。死亡診断書は急性心不全。脳溢血とも言う。
 
終の棲家は「おちついて死ねそうな草萌ゆる」と詠んだ松山の「一草庵
死の直前の最後の句。「もりもり盛りあがる雲へあゆむ」
苦悩、放浪の果てに、最後は生の喜び、自然の優しさを知ったのだろう。
 
「また見ることもない山が遠ざかる」
「分け入っても分け入っても青い山」
「鉄鉢の中にも霰」