34歳のとき、俳句誌「層雲」に載せた言葉。「苦痛に徹せよ。しかし苦痛は戦うても勝てるものではない。打ったから砕けるものではない。苦痛は抱きしめて初めて融けるものである」
山頭火の句。「捨てきれない荷物のおもさまへうしろ」
「苦悩は不幸ではない。克服するものでもない。甘受するもの」と言う。
45歳のとき、全てを捨て托鉢放浪の旅へ出る。日記に書く。
「私は所詮、乞食坊主以外何物でもないことを再発見した。旅に出ます。歩けるだけ歩きます。行けるところまで行きます」と
詠んだ句は「蝉しぐれ死に場所をさがしてゐるのか」
終の棲家は「おちついて死ねそうな草萌ゆる」と詠んだ松山の「一草庵」
死の直前の最後の句。「もりもり盛りあがる雲へあゆむ」
苦悩、放浪の果てに、最後は生の喜び、自然の優しさを知ったのだろう。
「また見ることもない山が遠ざかる」
「分け入っても分け入っても青い山」
「鉄鉢の中にも霰」