終末医療の専門医で緩和医療医の大津秀一氏の著書「死ぬときに人はどうなる10の質問」の中に「自分の死期を悟ることができるか?」の問いがある。
答えは、はっきりと悟るか、曖昧に悟るかの違いはあるが、大体悟ることができるという。
幕末の剣客・山岡鉄舟は自分の死期を悟り、死に装束で皇居に向かって、感謝の意を表し、1888年7月19日、死亡した。満51歳。
彼は胃痛が持病である。死亡する3年前、一時危篤になり、その後、回復している。
1887年、右わき腹に腫瘤ができた。主治医は胃癌、東大のベルツ博士は肝硬変と診断する。
翌年の1888年には固形物は受け付けず、薬湯と流動食のみの生活だった。
それでも門人に剣道の稽古をつけ、座禅、写経を行ったらしい。
7月17日、死に装束に着替えた。18日に激烈な腹痛があり、医師は胃穿孔と診断した。
胃穿孔とは胃に穴が開き、激痛を生じる。
翌日18日、旧友の勝海舟が病気見舞いに来た。勝は尋ねる。
「いよいよご臨終と聞き及んだが、ご感懐はいかがかな」
「現世での用事が済んだので、お先に参ることにしたす」
「さようか、ならば心静かに参られよ」
お互い、死の床で直接的に話す。余分な話は一切しない。さすが、大物である。
翌日、19日に鉄舟は死亡する。
辞世の句「腹張って、苦しきなかに、明け烏」
当時は緩和医療もなく、鎮痛剤もない。鉄舟ほど我慢強くなれないが、少しは真似をしたいものだ。今は死期を悟る頃には、薬で眠らされるようである。