社労士・兵藤恵昭の独り言

団塊世代の社会保険労務士・兵藤恵昭のブログです。兵藤社会保険労務士事務所・内容は雑多です

賽銭箱のお金は誰のもの?

時々ニュースで「賽銭箱盗難」が報道される。防犯カメラ設置で窃盗場面が放映される場合もある。
窃盗の理由を聞くと「コロナで働き先が無くなったため、生活苦でやった」という。賽銭泥棒は犯罪である。
「神様、仏様がある本堂前にある賽銭箱のお金は誰のものだろうか?」神主のもの?住職のもの?常識的にはそうだろう。そうならば、本堂に置かず、神社、お寺の入口に置けば良い。
置かないのは、参拝者が神様、仏さまに差し上げるお金と思うからだ。参拝者はわずかな金額でも徳を尽くしたと思い、自己満足する。ならば神様、仏様のお金である。
賽銭箱に何万のお金を入れる人はいない。10円、100円、精一杯のお金でも千円札まで。最悪、失っても十分に諦めがつく金額だからだ。
参拝者は「神様、仏様に差し上げた」と思っていないか?「よこ盗り」したのがお寺、神社は言い過ぎか?所有権が神社、お寺にあるのは、資本主義「所有の権利」の考え方。
隠しカメラ設置し、一晩中、警察官を配置して逮捕する。その費用、人件費は盗難金と比較してペイできるのだろうか?疑問に思う。社会秩序維持のため必要というのか?それとも見せしめ?
盗難にあった神社、寺の盗難の確率、年間の盗難金額はどれくらいになるだろうか?盗難によって寺院経営にどれほどの影響があるのだろうか?聞いてみたい。
何千円のお金で生活苦から助かったとしたら、またそのお金で遊んだとしても、知れた金額だ。銀座高級バーで遊ぶことはできない。仏さまはお許しになるだろう。
許さないのは人間の欲望ではないのか?貧しい人へ仏様よりの贈り物と考える寺院があっても良いだろう。
「仏を拝む手、金を盗む手、ともに同じ人の手」