2021-08-10 博徒・津向文吉の墓参りをしました。 日記 昨年10月、コロナ騒動一息ついだ頃、山梨県西八代郡市川三郷町にある博徒・津向文吉の墓に行った。 津向文吉の子孫で宮沢家現当主にお会いした。宮沢家は代々地主で、江戸時代は街道で旅籠を経営していた。 当主は地元学校の教師を定年退職、「畑仕事が楽しみだ」と言っていた。先代も教師だった。「田舎だから、教師、郵便局、公務員くらいの職しかない」と言われた。 「津向の地名は着物の紬(つむぎ)に関係ありますか?」宮沢氏に聞いた。 「関係ありません。この辺りは富士川沿い、駿河と甲州の河川運輸の拠点、富士川に大きな船着き場があった。港を意味する「津」に向かい合うということで名づけられた。」と説明された。 河川運輸の拠点だから大きな博奕場が設置されたのだろう。とにかく、現地に行かないとわからないことが多い。 津向文吉の墓 blog.goo.ne.jp